開催時期: 2015年5月29日〜6月1日

「バルカンのスパイ」 セルビア5都市ツアー *ステーリノ・ポゾリェ国際演劇フェスティバル正式招聘参加

公演スケジュール
5月29日 ズベーズダラ劇場(ベオグラード)*1  Zvezdara Theatre(Belgrade)
6月1日ステリイノ・ポゾリェ第60回国際演劇フェスティバル(ノヴィ・サド) The Youth Theatre
60th STERIJINO POZORJE FESTIVAL 2015(Novi Sad) *2
6月2日 センタDom Kultureドムカルチャー劇場公演*3
6月4日 ウジツェ、ウジツェ国立劇場、仕込み*4
6月6日 シャバツ国立劇場公演

 

脚本:ドュシャン・コバチェビッチ
翻訳:亀田和明
演出:杉山剛志

出演:蔡恵美チェヘミ、田中徹、服部晃大、公家義徳、東ヶ崎恵美
スタッフ:
美術:加藤ちか
照明:篠木一吉
音響:仙浪昌弥
舞台監督:吉田誠
字幕:後藤絢子
記録:奥野衆栄、清原千香子
補助:竹下千里、新城磨紀
プロデューサー:宗重博之

主催:一般社団法人 壁なき演劇センター
共催:在セルビア日本国大使館
助成:独立行政法人 国際交流基金
協賛:Japan Tobacco International
後援:在ボスニア・ヘルツェゴビナ日本国大使館、在日セルビア共和国大使館
共同制作:GAMBA

 

 

現地での公演、滞在の様子はfacebookプロジェクトページより
https://www.facebook.com/balkanspy.alaplace/

*1 ズベズダーラ劇場
1984年に設立された国の重要な文化施設の一つである劇場。映画「アンダーグラウンド(1995)」(監督:エミール・クストリッツァ)の脚本家としても著名なドゥシャン・コバチェビッチ氏が芸術監督・支配人を務める。過去には主に旧ユーゴスラビアから現代のセルビア作家の作品の初演を発表していたが、2001年からはその範囲も広がり、海外の作品も広く上演されている。数多くの名優がこの劇場で公演し、名作を産み、その作品はバルカン地域および海外へのツアー公演が頻繁に行われている。

*2 ステーリノ・ポゾリェ国際演劇フェスティバル
セルビアを代表する演劇人によって発足し、旧ユーゴ圏およびセルビアを代表する劇作家の作品の魅力を発信し続けている国際演劇祭。外国で演じられたセルビア人作家の作品についても積極的にリサーチを行っている。当演劇祭は今回で60回目を迎える。参加国はセルビアおよび旧ユーゴ圏の国々が中心だが、昨年はオーストリアからウィーンのシャウシュピールハウス、今年はイギリスからも参加がある。日本の舞台芸術団体の正式招聘参加は今回が初めてとなる。

*3 Dom Kulture ドムカルチャー劇場
Dom Kultureは1509年からある建物を7年前に改装した座席数246席の劇場である。
センタには、日本企業初の対セルビア直接投資であるJapan Tobacco International(JTI)のたばこ工場があり、現在約300人が働いている。
JTIは今回上演した劇場Dom Kultureにも出資している。

*4 ウジツェ国立劇場
1859年に設立されたウジツェの国立劇場。初めての演目は1862年2月15日に上演された。
街の中央広場に面している街の中心的な存在である。劇場客席数は1階席と2階バルコニー席を合わせて約600席。
当劇場の照明と音響機材は日本政府による無償資金協力によって整備された。

現地メディア掲載情報
《テレビインタビュー》
Radio TV Sabac(6月7日放送)
オンライン:http://www.tvsabac.co.rs/vest.php?id=12442&title=balkanski_spijun_na_japanski_nacin

Japanski Balkanski špijun u Zvezdara teatru
https://beta.rs/scena/kultura-pozoriste/3870-japanski-balkanski-spijun-u-zvezdara-teatru

—– 《日本とセルビアをつないだものは?》——*報告書より抜粋

ベオグラードは、かつてユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都だった。
ユーゴスラビアは、かつて多民族が共存するバルカン半島の大国だった。
バルカンは、かつて「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた地域だった。

ベオグラード、ユーゴスラビア、バルカン。
はたして、どれだけの日本人がこれらの地名を知っているのだろうか?
日本に暮らしていると、はるか遠方で戦争が起こり、幾多の尊い命が奪われ、数多くの難民が寄る辺ない暮らしを強いられているという事実に気づき難い。
バルカンだけではない。イラク、シリア、リビア、アフガニスタンなど21世紀に入った現在でさえも世界のあちこちで紛争が続いている。理不尽極まりない暴力がはびこり、弱者が犠牲となり、一般市民たちは居場所を追われ、がれきと化した街が増え続けている。
こんな世の中で、演劇に何ができるのだろうか?
演劇は、舞台芸術は、政治や経済・安全保障に加えて、紛争の解決や、世界の平和を構築する力になり得るのだろうか?

2015年5月、私と演劇集団 ア・ラ・プラス(代表:杉山剛志)は、セルビア5都市巡演ツアーを企画し、手弁当でベオグラードにやってきた。ベオグラードは1999年にNATO軍に空爆された街である。現在は落ち着きを取り戻しているが、爆撃されたビル群は無残にもそのままの姿をさらし、紛争の引き金となったコソボ問題は未だ解決されていない。セルビア人の心のなかには深い傷が残っているにちがいない。
そんな歴史が刻みこまれた街の、客席350余りの劇場で、日本の5人の俳優たちはセルビアを代表する作家コバチェビッチ氏の戯曲「バルカンのスパイ」を臆面もなく日本語で演じた。
日本の演劇集団が、セルビアで、セルビアの戯曲を上演するのは、おそらく今回が初めてであろう。セルビア語で書かれた作品だから、日本人の私たちが、歴史や言葉の違いを乗り越え、ドラマの真髄を表現することは容易ではない。しかし、出演者たちはこの戯曲を演じることによって、自分たちのドラマとして捉え、セルビア社会の家族の真実というものを身近に感じていたはずだ。作家の筆力によるところも大きいが、この作品は、人間愛とユーモアに溢れ、他者とのかかわりのなかで人は生きているのだということを再認識させてくれた。

そもそも演劇は、土地に根差したローカルの表現である。
コバチェビッチ氏は、ベオグラードの、ユーゴスラビアの、バルカンの人たちの心の動きに寄り添って、「バルカンのスパイ」を書きあげた。政治的な弾圧が激しければ激しいほど弾圧をかいくぐり、笑いを生み出し、権力の硬直した姿をあぶりだした。だからこそセルビアの国民たちは、この作品を愛し、空爆が激しかったときでも劇場に足を運んだ。
演劇が、観客の欲求不満のはけ口となるだけだったら、劇場にはワクワクとするような刺激的な魅力は生まれなかっただろう。

国際文化交流、とりわけ演劇交流はいまや時代の要請である。
異文化を語るとき、どうしても他民族や国家との共通性よりも、お互いの違いにスポットをあて、自分の独自性を強調したがる。しかし、演劇を含む芸術文化の領域では独自の価値を保ちながら、その排他性を超えるだけでなく、世界規模の共通の価値を創りだしていかなければならない。その時、演劇はローカルな表現を越えようとする。演劇人は、社会のグローバルな変化を舞台表現として捉えようとする。

私たち日本人の演じた「バルカンのスパイ」は、セルビアの各都市で、多くの観客に暖かく迎え入れられた。それは何故か? 優れた演技ではない。優れた演出ではない。優れた舞台美術でもない。唯一言えることは、私たちが無心でセルビアの芝居に捧げたものが、多様な形で称賛されたのだ。つまり、芸術において最も大事な「創る喜び」が、セルビアの観客の心を捉えたのである。セルビア人たちは、日本の多様な文化を尊敬の念を持って寛容に受け入れる心を持っていた。
ベオグラード初日の本番直前、大きなプレッシャーで、コチコチに緊張していた俳優たちに向かって劇場監督のアシュケさんは次のような内容のことをわかりやすい英語で言い放った。
「考えるな! 観客と一緒に楽しめ! それがエネルギーとなる。セルビアの観客は日本人が観たいんだ。彼らは君たちを受け入れてくれる!」
誰もが、彼のことばに救われる思いだった。
演劇の力を語るには、これで十分だろう。

最後になったが、このツアーを裏で支えてくれた人たちがいることを忘れてはならない。同行したスタッフはもちろんだが、日本たばこインターナショナル、セゾン文化財団、在セルビア日本大使館の大森さん、ベオグラード在住の山崎佳代子さん、ベオグラード国立劇場のプロデューサー、演出家のジョルジェ、フランスから駆けつけてくれた友人たちなど、名前をあげればきりがない。
これを機会に、私たちは130年前から始まった日本とセルビアの友好関係を発展させ、さらに深く、さらに強いものにしていかなければならない。これが私に課せられた役どころである。

プロデューサー 宗重博之

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